Vers la lumière

f:id:pwimg:20141230152229j:plain「コピー機のふたをあけると光を直接見ないでくださいという注意書きがあった。でも光は目を閉じているときのほうがよく見えると思った」という2年前の自分の走り書きをみつけた。当時はそう思っていたし、実際に目を閉じているときに光をよく感じることができるのはいまでもよく理解できる。でも本当にそうなんだろうか、目を閉じないときにはいったいなにをみているのだろうか、という漠然とした思いを抱えながらここのところ生きていた。
逆光を避けるためにカメラを光に向けてはならない、というルールをこれまで破ったことはなかったけれど、数ヶ月前から直接光に向かってシャッターを切ることを躊躇しなくなり、それからはほとんど睥睨するような目つきで何度もシャッターを切っていた。コントラストが撮りたいわけではなかったし、被写体がシルエットになるような雰囲気のある写真を撮りたいわけでもなかった。ただ光をみたいと思った。撮りながらわかったのは、そこにあるのは光と影ではなく、光だということだった。
こどもの頃、太陽を直接見てはいけないと言われていたことを思い出す。あの頃も光を直接みてはまぶたの裏に赤や黄や黒に焦げた光の残像が浮いては落ちていく様子を感じたいと思っていたし、なにより恐いものみたさに近い衝動があった。いまも怖いものみたさと挑発の入り交じった気分でレンズを太陽に向ける。光に照らされたものは美しいけれど、光自体が美しいのかはやはりよくわからない。美しいから光をみたいというわけではないのだなと思う。
わたしはもう長らく、眠るのがむずかしい人間になってしまった。ほとんど諦めに近い気分で長すぎる夜を過ごすことに対して、今日は慣れたといいながら明日にはいまだに慣れないといって弱音を吐くのだろう、と他人事のように思うしかない程度に夜は長い。目を閉じているときに光の温度と色を知り、目をあけているときには光につぶされようと思う。眠れない夜に光の記憶を抱きながら朝へと指をのばし、翌朝の光に容赦なく指をはらわれるような人間として今年も生きるのだろう。みなさんのもとにただしい光が降りそそぎますように。